足操術の歴史

足操術の起源は古くは、中国の漢の時代に作成されたと言われる医学書「皇帝内径」(こうていだいけい)にも記載されている「観趾法」に始まっており、足を見て病気や健康法の診断法として利用されていました。しかしそのころは現在のように足を揉むと胃が動くというように、科学的にカメラによって証明されたわけではなく、中医学で言うところの鍼灸法や経絡法によっての診断によるものでした。

 

 さらに「観趾法」は古くインドの寺院などの壁画にも、足を揉んでいる様子が描かれているように、かなり古くから漠然として利用されていたと思われます。

 

 具体的にこの「観趾法」が理論付けられたのは1913年に、アメリカ籍の医者によって「区帯理論」として、足裏の一定にゾーンを刺激することで、人体の臓器臓腑が何らかの刺激をうけることが発表されました。その後イギリスをはじめ世界各地で足の刺激が体に良い影響を与えるということで、様々な形で普及されてきました。

 

 

 

 この観趾法をより具体的に「足部反射区治療法」として科学的にも証明されたのが、1970年に台湾に在住している呉若石神父(スイス生まれ)をはじめ、陳勇先生、余季玉先生達によって「足部反射区治療法」として普及させてきました。

 

 呉若石神父がこの足操術を確立させた動機は、神父自身が膝関節痛に悩まされていた頃に台湾在住の曹神父に一冊の脚底按摩書を紹介されたことがきっかけとなり、自分の膝を治癒されたことでした。

 

 

 

1996年にこの「足部反射区法」が台湾内政府に「中華足部反射区健康法協会」として認められ現在に至っております。

 

 

 

日本足操術研究会は1989年に「中華足部反射区健康法協会」に入会して、呉神父をはじめ台湾の著名人の先生に指導を受けながら、足操術の技術と理論を全国に普及させてきました。現在日本足操術研究会は台湾の諸先生たちとの友好関係を築きながら、「日本足操術研究会」として独立し、会員の皆様をはじめ、全国のたくさんの病んでいる方たちの、お手伝いをさせていただいております。

 

 

 

     「皇帝内径」とは

 

中国の古典「皇帝内径」は漢方の原理や治療法などが書かれている医書だそうです。でも単なる医書のノウハウ書でなく、人間が健やかに幸せに天寿を全うするための人生の心得まで示されています。「皇帝内径」は黄河流域の漢民族の古代医学を中心にして、約2000年前に編成された医書で「素問」「霊枢」という表題の2巻が残っているそうです。